どの国にも、その国を象徴する自然の景観や動植物がある。例えばアメリカを象徴するハクトウワシ、オランダを象徴するチューリップ、スイスを象徴するマッターホルン等。
日本を象徴するものをあげて見よう。山=(別に制定されているわけではないけど)富士山、国花=ヤマザクラ(国花として制定。なお国章は菊の紋)、国鳥=キジ、国蝶=オオムラサキ等々。しかし、朱鷺もまた別な意味で日本を代表する鳥である。国際鳥類学会に報告され正式に登録される際、もっとも日本的な鳥として学名を「ニッポニアニッポン」とされたからである。
古くから北海道・東北・北陸・関東に分布し、江戸時代後期にはさらに四国・九州にまでその分布域をひろげた。これは領主の狩猟のために一般の捕獲が禁止されていたためと推定される。
やがて明治時代にはいると一転、その数は激減する。乱獲されたのが最大の原因と見られる。美しい羽根が珍重され、その肉は産後、冷え症の妙薬とされたと記されている。1908年(明治41年)政府が保護に乗り出した時にはすでに手遅れ状態であり、全国からほとんど姿を消してしまっていた。
1920年(大正9年)絶滅したと考えられた。1925年絶滅宣言。しかし1929年(昭和4年)に能登半島で目撃の報告、1931年には佐渡で27羽を確認。生息総数80〜100羽と推定。34年天然記念物、52年特別天然記念物に指定。さらに1960年には国際保護鳥の指定を受けた。しかしその数は減少の一途をたどり、能登に残った最後の1羽を捕獲し佐渡へ移入されるも翌年に死亡。
1965年新潟県は朱鷺の生息域一帯を鳥獣保護区に指定し保護センターを設置、1981年、5羽に減少した朱鷺ぜんぶを捕獲し人工増殖を試みるが成果はあがらなかった。
一方、この年、明るいニュースがもたらされた。中国陝西省洋県の山中において7羽の朱鷺が発見されたのである。以来、関係者の努力のかいあって今日まで中国での繁殖は成功をとげつつある。中国の個体群はすでに総数100羽を越えているが予断は許されない。日本では1990年には2羽を残すのみとなり、日本種の増殖は絶望的と判断、1羽(ミドリ)を北京動物園に移してみたが繁殖のきざしなく帰国。ミドリは1995年に死亡し、純粋日本産の朱鷺は老齢のキンただ1羽となってしまった。キンの死亡は日本産の朱鷺の絶滅を意味している。今後の展望は中国の個体群の繁殖にかかっている。
なお、写真はいまではほとんど撮影不可能なため著作権の関係もあり掲載できません。ご覧になりたい方は関連サイト(佐渡両津サイト)へどうぞ。
参考資料
週刊朝日百科「動物たちの地球」
日本生活協同組合連合会「こーぷらいふ」1990年3月〜5月号
矢口高雄「トキ」二葉社
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