フォン・シーボルト
医師、ドイツ人。
江戸時代後期、日本に滞在し日本の自然や文化を研究。日本医学の発展に寄与。多くの日本固有の動植物に学名を付ける。ヨーロッパに朱鷺を紹介。 |
シーボルトが帰国にあたって採集、持ち帰った多数の日本の動植物の中に朱鷺の標本もあった。これはオランダの鳥類学者テミンクらによって分類がすすめられた。当初朱鷺はサギ科に分類され1835年「Ibis
nippon」と命名された。しかし、大英博物館グレイらの研究により、1871年近縁種をもたない1属1種であることが確認され、改めて学名を「Nipponia
nippon」とされた。 |
高野高治 佐渡生椿
トキ保護センター勤務
朱鷺を永年にわたって観察・保護。1997年7月永眠。 |
まだせいさくちゅうです。まっててね。 |
佐藤春雄 元両津高校教諭
故高野高治とともに朱鷺を永年にわたって観察・保護。その結果、黒灰色トキと白色のトキとは実は同一種の季節変化であることを発見、論文を発表。 |
まだせいさくちゅうです。まっててね。 |
久保敬親 写真家
1947年佐渡生まれ。「朱鷺の遺言」や「朝日百科/動物たちの地球」などに朱鷺の写真を提供。 |
(略)…卒業直前の昭和四十四(1969)年の十二月、故郷・佐渡の自然と向き合う。まだ見ぬ、幻のトキの姿をこの目で見たい、という気持ちを抱きながら……。両津市河崎の谷平を朝から夕刻まで十日間跋渉。トキとは会えぬ、と諦めて、東京への引き揚げを決め、帰り支度に取り掛かった最後の日の夕刻、偶然、後ろを振り返ったとき、目に入った田からトキたちが飛び立った。久保氏にとって、最初で最後のトキとの出会い。「あの瞬間の撮影が、動物写真の道で生きていこう、という誓い立てになりました」(小林照幸「朱鷺の遺言」あとがき) |
高野喜久雄 詩人
1927年佐渡生まれ。詩集「独楽」
「存在」、「高野喜久雄詩集」等。
合唱曲「水のいのち」「朱鷺」等。 |
ターアかクァーアか、いまだにその鳴き声さえ知らないが、子供の頃たった一度だけ、校庭の上を森の方へと飛んで行く朱鷺を見かけた。「朱鷺だ、あの色が朱鷺色だ」と、いつになく弾む先生の声、確かに素晴らしい羽根の色。「学名はニッポニア・ニッポン、むかしは日本のどこにでもいたが、美しすぎて人間に狙われた悲運の鳥。今はこの村の黒滝山に30羽だけ、ぼくたちの誇りだ、大事な宝物だ」と熱く語られた言葉も忘れられない。(合唱組曲「朱鷺」-「朱鷺」によせて) |
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