知恵者猫(チエシャネコ)
四番目・略三番目(太鼓ナシ)
季 春(四月一日)
所 英吉利乃國(えぎりのくに)の不思議の郷
梗概 英吉利乃國(えぎりのくに)の度寺村(どじそん)に住む女が、或る日不思議なうさぎを追って穴に入ると、不思議の郷に迷い込んでしまった。帰る途がわからず途方にくれていると、半舞手團舞手(はんぶてだんぶて)なる名の者が現れて謎をかける。女がその謎を解くと知恵者猫が道を教へてくれるであらうと言って消える。
なおも歩いて行くと女は森の中で知恵者猫に会うが、猫は右へ行くと烏帽子(えぼし)売りがいて、左へ行くと三月うさぎがいるが、両方とも物狂ひであると教える。そして我も物ぐるひであると言ひ、その訳を解説してみせる。やがて猫はニヤニヤ笑いながらだんだんと姿が消えてゆき、遂には猫の姿がすっかり消えてしまった後、ニヤニヤ笑ひだけが木々の間に残ってしまった。女は猫に教へられたとおり三月うさぎの方角へ向かって行くが、一度消えた猫は再び姿を現し、邪魔悪鬼(じゃばをっく)退治の様を舞ひに表現し、楽しき茶会へと去ってゆくのである。
曲趣 この曲は叔やかに優美にうたふ曲である。あまりに人口に膾炙されていることと、春光麗らかな不思議の森、これにニヤニヤ笑ふ猫を点出した絵巻のやうな美しい情景のみ考へられて兎角軽々しく取り扱われる傾向があるが、荒くならぬやう朗らかに運びよくうたふ。シテは柔らかに優美にうたふ。クセは静かなうちにも運びよくうたふ。キリは伸びやかにうたふ。
本文大意
次第〜道行
英吉利の國の女が登場する。
次第「春の空の下を旅して、のどかな故郷へ帰ろう。
子方詞「英吉利の國の度寺の村に住む女である。ある日不思議なうさぎを見たのであるが、そのうさぎが遅れてしまうから急ごうと言いながら穴に入ったのを追ってゆくと、そこは不思議の郷であった。
道行「半舞手團舞手という者が壁の上に居た。そこから落ちてしまったが帝の馬や兵をもってしても、もとにもどすことはできなかった。
シテの出
シテが登場する。
シテサシ「面白い事だ。頃は四月一日頃。四方の景色は春の美しい色であることよ。
問答
猫は女を見つけてそなたは誰かと尋ねた。
女は英吉利の國に住むものであるが、この森に迷い込み困っておりますと言ふ。
シテ「それはあわれであることよ。一本の樹、一河の流れに集うも何かの縁であるといふ。実は私がこの森で知られた知恵者猫である。家へ帰る道も知っているから教えてあげよう。
ロンギ〜中入地
右へ行くと烏帽子(えぼし)売り、左へ行くと三月うさぎがいて、実はどちらも物狂いである。この私も物狂いなのだ。何故かといふと、狂ってないイヌは怒っている時には喉を鳴らし、嬉しい時にはしっぽを振るが、私は反対にうれしいと喉を鳴らし、怒る時にはしっぽをふるのであるから、と言ひながら猫の姿はだんだん消えてゆくのである。声は消え残っているが姿は見ると思えば消えて陽炎のようである。
つひには姿がすっかり消えてニヤニヤ笑いだけが残っている。これは夢か幻かも知れないが三月うさぎの所へ行ってみようといって女は退場する。
後シテ〜キリ
再び猫が登場する。
キリ「君も僕も、正しい道をみつけるならば英吉利の郷へ行けるであろう。こうしてめでたく物狂いしつつ、舞いのさす手には邪魔悪鬼(ジャバーウォック)を払い、引く手には豚の子を抱いて天竺鼠(テンジクネズミ)のヒゲを撫でてやる。こうして(三月ウサギの所で催されている)茶会へ行って楽しむのである。
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